こんな記事を書きたくないんだけれど

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音更町の学習塾 てらこや。の壁谷です。

今日は2020年の最後の塾です。

講習会が本当に大変で

しばらくブログをかけていませんでした。

なので、まぁ書きたいことがいっぱいたまっているわけですよ。

時間ができるのを楽しみにしてたんですよ。

この2日くらい、お母さんたちからの差し入れでお昼ご飯があたり

本当に助かっています とか

自分で買えないようなものとか本当においしくてありがとうございます

 とか

朝9時から夜10時まで講習会をやっているので

間に合わなかったクリスマスプレゼントを

今日配っていますよ(写真も撮ったよ) とか

相変わらず疲れによるポンコツで

今日はかけ時計を落として壊してしまったし

今日差し入れでいただいたコーヒーのミルクを

カップに入れようとしたら、なぜか紙袋にぶちまけました とか

体を健康にせねば ということで

筋トレを始めたものの20秒やるだけで

お尻と太ももがプルプルになってしまいました とか

途中入塾が多いので英語がだいぶ良くないので

英語を構造的にとらえる教材を急ピッチで作って

改善しつつ、運用を始めました とか

講習会生を見ると

・学習の方法が身についていないから

 それらを一生懸命繰り返し伝えていますよ

 そして繰り返すこととまちがえることはできるようになる通過点

 ということを伝えて指導をしてきて

 少しずつ学習がうまくなっていますよ とか

・間違えることを怖がらなくなってきているので

 笑顔が増えて学習してくれてますよ とか

・なんでこの子がこんな点数しか取れてないんだろう

 通常に入ってくれたらもっと伸ばせるのに とか

・そういえば、去年入塾した子がテストを持ってきてくれて

 指導している2科目とも80点オーバーで本当に良かった とか

講習会生と比べると

通常生たちはだいぶ学習の方法が身についているから

やっぱりペースが早くて今までやってきたことが

血肉になっている感じがうれしいですよ とか

まだまだいっぱいあるわけですよ。

なのにね

今日は中3を3名強制帰宅にしました。

という、年末なのにつまらない記事を書かなきゃいけないわけです。

本当にこんなこと言いたくないんですけど

何回同じようなことで注意され続けるのか

ということなんです。

(ここまで書いていたときに

お母さんの一人がわざわざあいさつに来てくれました。

ほんとうにすみません。ほんとうに、ほんとうに、全く申し訳ない)

戻ります。

おいちゃんの考える学習塾の存在意義はね

子どもを育て、いいほうに変えること

教える、教えられるという関係ではないんです。

教える、だけでいいのであれば今はもう

You Tube でいい授業動画を見ればいいんです。

そして、教えてくれる学校の授業を受けるだけで

必ず全員が満点をとるはずなんです。

そうじゃないからこそ

育てよう、そのためには負荷をかけてでも変えよう

そういう覚悟でぶつからなきゃいけないときがある

そこをてらこや。として、入ってくれた子たちに

この子たちはやればできる子だ

という期待感をもってぶつかっていこう

そういういう塾として

精一杯指導にあたっているわけです。

小さな塾だからこそできることを

1人1人を育て変えていこう

おいちゃんよりよりよい人生を歩んでほしい、歩めるはず

それは自分の子どもたちに対してと同じような感情です。

そういう期待感を抱きながらやっているんです

それをね

自分たちなりにかってに休まれたり

今までさんざん言ってきた

自分を追い込んでやろう

みたいなことをやれない子たちならね

もう伸ばせないんです。

定期テストも目標点に届かなかった

入試の過去問を解かせても目標点とは程遠い

だから30回とかやらなければいけないよ

そのために自分でやりすすめなきゃいけないよと言った子も

その中にはいましたが

おいちゃんがやらせた1回以降は一度もやっていません

やらなければいけない

を強制されなけばやれない、自己管理をしない

だから自分ではやらない

そうなってしまうとね、もう本当に伸ばせないんです。

先週にも中3全員に言ったんですけど

もう伸ばせない、と感じるのは 絶望 なんです。

もう病気を治せない・治らない

そういう状況になったら 絶望 を感じると思うですけど

同じなんです。 同じレベルの 絶望 なんです。

命がかかってないからわかってないのかもしれないんですけど

こっちは命を懸けて変えようと思って必死にやっているわけです。

だから ものすごい絶望 なんです。

言い訳はいつでもいくらでもできるでしょう

中三の年末最後の一日だから

3人のうち2人はお家の都合で午前ではなく午後に来たから

(これは全然かまいません。事前に報告も受けてますから)

最後の一日だから

ちょっといつも通りとは違うから

疲れてるから

「から」とか「なので」の前が何でもいいんです。

理由は何でもいいんです。

そこから導き出されるものを

できない問題に立ち向かう

覚えていない知識を覚える

できない自分を変える・育てる

などの前向きな言葉であれば。

でもね、後ろ向きな

やらない

を選択されてしまったら、手の施しようがないんです。

本気で 絶望 をしました。

できないは育てられます。

そこは技術なので、その技術には自信と確信があります。

やらないは育てられないんです。

技術も熱意もへったくれもあったもんじゃないんです。

もうね、おいちゃんもとしなので今までのように

そういう絶望したときにどれだけ悪者になろうが

めちゃくちゃ追い込んでやらせきって

ぐわぁーって怒ったりして無理やりにでも変えて

結果だけの責任はとります

ということは無理なんです。恥ずかしいことですが。

もう41歳になってしまって、来月42歳なんです。

だからこそ

普段からそういう話もしているし

生徒たちにはお願いもしています。

でも今日の子たちは自分たちに甘いラインをとりました

それはもう許せないかな、と思い強制帰宅にしました。

狭い塾なので同じ部屋にいる子たちに悪影響だし

(と言ってもコロナの3密を避けているので

他にいたのは中1の2名だけですが)

悲しい

を通り越して

絶望

という2020年の最終日です。

人に教えるということは実は簡単で

人を変えるということは本当に難しい

だからこそ

教えて終わる、授業をする、というだけの塾ではなく

変える・成長させる難しさと向き合う塾・人間でありたい

そのことをもっとしっかり自分でやり切ることができなければ

指導者としてまだまだ未熟で情けないことだな

と実感させられた年末でした。

書きたかった記事は

明日以降にちょこちょこ上げていきます。

みなさんよいお年を。

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